この地獄で生きる以上、私たちは誰かを傷つけずに生きることはできません。
なぜなら人間は比較する生き物だから。
あの女性は私より美しい。
私より若い。
私より愛されている。
私よりお金を持っている。
私より仕事がうまくいっている。
私より素敵な家に住んでいる。
私にはないものを持っている。
そんなふうに私たちは他人を見ながら自分という存在を確認してしまう。
比較する以上、私たちは必ず傷つきます。
そして同時に知らないところで誰かを傷つけています。
たとえば貴女が今日着ているワンピース。
貴女にとってはただ気に入って買っただけの一枚かもしれない。
しかし街ですれ違った女性がそのワンピースを着た貴女を見て、「私もあんな身体だったら」と胸を痛めているかもしれない。
貴女が何気なく話した仕事の話を聞いて、「私は何をしているんだろう」と思う人がいるかもしれない。
貴女が住んでいる家。
夫婦関係。恋人。子ども。
収入。旅行。持ち物。
容姿。若さ。才能。仕事。
貴女にとっては自慢するつもりすらないただの日常が、誰かにとってはどうしても手に入らなかったものかもしれない。
そしてその人の古い傷に触れてしまうことがある。
もちろん、だから自分らしく生きるなと言いたいわけではありません。
美しいものを隠しなさい。
幸せを語ってはいけません。
成功しても黙っていなさい。
目立たないようにコソコソ生きなさい。
そんなことを言いたいのではありません。
むしろ逆です。
堂々と生きればいい。
美しいなら美しくあればいい。
幸せなら幸せであればいい。
才能があるなら使えばいい。
欲しいものを手に入れたなら喜べばいい。
咲けるなら思いきり咲けばいい。
ただしひとつだけ忘れないでほしいのです。
貴女が咲くことで、どこかの誰かの傷に触れることがある。
その可能性を忘れないでほしい。
「私は悪いことなんてしていない」
「勝手に傷つく方が悪い」
「嫉妬する方の問題でしょう」
そうやって切り捨てることは簡単です。
たしかに誰かの傷を背負って自分の花を摘む必要はありません。
しかし「私は誰も傷つけていない」と思うこともまた、ひとつの思い上がりなのです。
こちらに傷つける意図がなくても人は傷つく。
こちらがただ生きているだけでも誰かの傷に触れることがある。
それが人と人が同じ世界(地獄)で生きるということです。
だから私は花人には「傷つける覚悟」が必要だと思っています。
それは誰かを傷つけても構わないという傲慢さではありません。
むしろ逆。
自分という存在が、知らないところで誰かの痛みに触れているかもしれない。
その可能性を想像できること。
そして心のどこかで「私の存在で貴女を傷つけていたらごめんなさい」と思えること。
しかしそのあとに「それでも私は私として生きます」と言えること。
私はそれが花人の覚悟だと思っています。
私自身もこうして活動している以上、誰かを傷つけることを覚悟しています。
私の言葉に救われる人がいる一方で、同じ言葉によって傷つく人もいるでしょう。
私の生き方を見て勇気をもらったと言ってくださる人がいる一方で、見たくない、苦しいと思う人もいるでしょう。
そして今回の出産報告でも傷ついた花人さんはきっとたくさんいると思っています。
自分のことのように喜んでくださった方もいる。
しかし同時に、その報告を見た瞬間、胸の奥が痛んだ女性もきっといる。
子どもを望んでいる女性。
望んでいたけれど叶わなかった女性。
子どもを持たない選択をしながらも、心のどこかに複雑な感情を抱えている女性。
どんな背景があるのか私には分かりません。
だから「おめでたいことなんだから傷つく方がおかしい」なんて私は絶対に思いません。
私の状況が誰かの悲しみを照らしてしまうことがある。
そのことまで含めて、私は発信するということを選んでいます。
だからといって妊娠出産したことを隠したり、自分の人生を小さくするつもりもありません。
私の人生だから。
私は私の人生を生きる。
ただ、それによって誰かの傷を照らしてしまうことがあると知っていたい。
それが発信する人間としての私なりの覚悟です。
そしてその感覚こそが、花人の「甘さ」だと思っています。
花人の甘さとは誰にでも優しくすることではありません。自分を犠牲にすることでもない。
誰かの痛みを、「そんなものは貴女の問題でしょう」と切り捨てないこと。
自分の人生を堂々と生きながら、それによって誰かの胸が痛む可能性までほんの少し想像しておくこと。
その想像力が女性の表情に甘さをつくり、言葉に湿度を生み、美しさに陰影を与える。
そしてその陰影こそが官能の源になると私は感じています。
花は誰かを傷つけないために色を薄くしたりしません。
香りを消したりもしません。
蜜を捨てることもしない。
ただ自分に与えられた生命を使って自分の色で咲いている。
私たちもそうであればいい。
誰かが傷つくかもしれないからと、自分の美しさを小さくしなくていい。
幸福を隠さなくていい。才能を隠さなくていい。欲望を隠さなくていい。
貴女の花を小さくしなくていい。
ただ、「私が咲くことで誰かの傷に触れることもある」
そのことだけは忘れないでいてほしい。
花人よ
傷つける覚悟を持て。
それは誰かを踏みにじる覚悟ではありません。
自分の光が誰かの影を濃くすることもあると知りながら、それでも光を消さない覚悟です。
そして誰かの痛みを想像できる甘さを失わないまま、堂々と貴女という花を咲かせ続ける覚悟なのです。