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次に秘密の花園を訪れた夜、澪は少しだけ緊張していた。
一度目は迷い込んだ。
二度目は呼ばれて行った。
そして三度目の今夜は、自分の意志で扉を開けた。
その違いが澪には分かっていた。
黒い鉄の門
蔦の絡まる外壁
淡く光る窓
小さな看板には、いつものように金色の文字が浮かんでいる。
秘密の花園
澪は鞄の中の花人手帖にそっと触れた。
その手帖には二つの言葉が書かれている。
誰かに選ばれるまで、自分の人生を始めない生き方を終わりにする。
私は誰かに選ばれるために咲くのではない。
私が咲くから、世界が私を見つける。
まだ完全に信じられているわけではない。
けれどその言葉を読むたびに、澪の中で何かが少しずつ立ち上がる。
昨日まで眠っていたもの。
長い間、自分でも見ないようにしてきたもの。
澪は深く息を吸い扉を開けた。
からんと鈴が鳴る。
花の香りが夜の中から澪を迎えた。
「いらっしゃいませ、澪さん。」
魔女は温室の奥にいた。
今夜の魔女は黒ではなく深い紫のワンピースを着ている。
夜に咲く花のような色だ。
その周りには白い花がいくつも置かれていた。
百合
蘭
白薔薇
鈴蘭
名前の分からない、細い花弁の花
まるで白だけで作られた小さな森のようだった。
「今日は貴女の花を見つける日です。」
魔女はそう言った。
澪の胸が静かに高鳴る。
自分の花。
その言葉は甘くもあり怖くもあった。
もし自分の花が分かったら、もう知らなかった頃には戻れない気がした。
「座ってください。」
魔女は温室の中央に置かれた椅子を示した。
そこには丸い鏡が置かれている。
古い銀の縁取りの鏡。
映画の中に出てくるような、少し重たげな鏡だった。
澪は椅子に座った。
鏡の中に自分の顔が映る。いつもの自分だった。
仕事帰りの服。無難なベージュのニット。黒いパンツ。
薄く色をのせただけの唇。ひとつに結んだだけの髪。
変ではない。清潔感もある。
社会人としてきちんとはしている。
しかしそこに花はなかった。
澪はそう思った。
魔女は澪の後ろに立つ。
「澪さん、貴女は自分の外見をどのように扱ってきましたか?」
澪は少し困った。
「普通に……だと思います。」
「普通とは?」
「職場で浮かないように。年齢的におかしくないように。清潔に見えるように。」
魔女は鏡越しに澪を見た。
「それは誰のための装いですか?」
澪は言葉に詰まる。誰のため?そんなこと考えたことがなかった。
服は失敗しないために選ぶものだった。
変に見えないため。若作りだと思われないため。
職場で扱いやすい人間に見えるため。
「誰かに変だと思われないため、かもしれません。」
澪は小さく言った。
魔女は静かに頷いた。
「多くの女性は似合うものではなく、責められないものを選びます。」
責められないもの。その言葉に澪は胸を突かれた。
確かにそうだ。本当に着たい服ではなく、誰からも何も言われなさそうな服。
本当に好きな色ではなく、無難に馴染む色。
澪は自分の美しさを育てるためではなく、自分の存在を薄めるために装ってきたのかもしれなかった。
魔女は鏡の横に白い百合を一輪置いた。
「貴女の花は百合です。」
澪は息を止めた。
百合。
心のどこかでそうではないかと思っていた。
初めて秘密の花園に来た夜から、白い百合はずっと澪の前にあった。
自分で花屋に立ち寄った時も、なぜか百合が気になった。
魔女から渡されたつぼみも百合だった。
それでも、実際にそう告げられると澪は少し戸惑った。
「百合……ですか。」
「はい。」
「私には少し綺麗すぎる気がします。」
魔女は微笑む。
「そうおっしゃると思いました。」
澪は鏡の中の自分を見た。
百合。
清らかで、凛として、気品があって、自分とは遠すぎる。素直にそう思った。
「百合って、もっと綺麗な人の花ではないですか?」
「綺麗な女性が百合なのではありません。」
魔女は静かに言う。
「百合として咲くことを許した人が、百合になるのです。」
澪は何も言えなかった。
百合として咲くことを許す。自分にはその許可を出したことがなかった。
魔女は百合の茎をそっと持ち上げた。
「百合は媚びません。」
澪は百合を見た。
「薔薇のように情熱を与える花ではありません。ひまわりのように明るさで人を照らす花でもありません。桜のように儚さで心を奪う花でもありません。」
魔女の声は静かに温室に響いた。
「百合は静かに空間を支配します。」
澪の背筋が少し伸びた。
「百合は叫ばない。しかし誰も百合を無視することはできないのです。」
澪は鏡の中の自分を見た。
無視されることには慣れている。自分から気配を消してきたから。
しかし本当は無視されたくなかった。
気づかれたかったし見つけてほしかった。ただ、その願いを認めることが怖かった。
魔女は続ける。
「貴女は派手に咲く花ではないかもしれない。しかし静けさの中に気配があります。大きな声で人を惹きつけるのではなく、ふと振り返らせる女性です。」
澪の胸の奥が熱くなった。
「私は…そんな女ではありません。」
「今はまだそう思っているだけです。」
魔女は優しく言った。
「貴女は自分を小さく扱うことに慣れすぎています。百合は小さく咲こうとすると苦しくなります。」
「小さく咲こうとすると……」
「はい。百合には高さと余白が必要です。光が必要です。そして香りを隠さない勇気が必要。」
澪は思わず百合に顔を近づけた。
白い花弁から深い香りがした。清らかで、甘くて、少し危うい。
「百合って清楚なだけだと思っていました。」
澪が言うと魔女は小さく笑った。
「百合を清楚なだけの花だと思うのは、人間の都合です。」
「違うんですか?」
「百合はもっと強い花です。」
魔女は百合を見つめた。
「白いからといって無垢なだけでも、弱いわけでもありません。百合には近づいた者の記憶に残る香りがあります。清らかさと官能。気品と毒。祈りと誘惑。その両方を持っています。」
澪は息を呑んだ。
清らかさと官能。気品と毒。祈りと誘惑。
自分の中にそんなものがあるとは思えなかった。
しかしそう言われた瞬間、否定しきれない何かが胸の奥で揺れた。
「澪さん。」
魔女が呼んだ。
「はい。」
「貴女は、自分を安全な女にしてきましたね。」
「安全な女……」
「はい。誰からも誤解されないように、嫌われないように。そして誰にも欲望を見抜かれないように。ヲンナであることを控えめにしてこられた。」
澪の喉が詰まる。
「……そうかもしれません。」
澪は鏡の中の自分を見た。
いつからだろう。女性として見られることが少し怖くなったのは。
若い頃はもう少し華やかな服も着ていたし、髪を巻いていた時期もある。香水をつけて出かけたことも。
しかし年齢を重ねるにつれ、澪は少しずつ自分から色を抜いていった。
若作りと思われたくない。必死に見られたくない。痛い人だと思われたくない。
誰かに何かを言われる前に、自分で自分を地味にしていった。
魔女は言った。
「百合の女性は、隠れてはいけません。」
澪は小さく息を吸った。
「目立つのが怖いです。」
「目立つことと咲くことは違います。」
魔女は答えた。
「目立つために騒ぐ必要はありません。ただ、貴女の輪郭を曖昧にしないことです。」
「輪郭を、曖昧にしない…」
「はい。何が好きで何が嫌いか。どの色を纏いたいか。どんな香りを放ちたいか。どのように扱われたいか。その輪郭を自分で消さないことです。」
澪は花人手帖を取り出した。魔女の言葉を書き留めたかった。
百合の女は隠れてはいけない。
目立つためではなく、自分の輪郭を曖昧にしないために咲く。
書きながら澪の手が震える。
それは今までの自分に一番足りなかったことかもしれない。
魔女は満足そうに頷いた。
「では今日から貴女には、百合として外側を整えていただきます。」
澪は顔を上げた。
「外側を?」
「はい。」
魔女は温室の奥から小さな箱を持ってきた。箱の中には何枚ものカードが入っていた。
色のカード
素材のカード
香りのカード
髪型やメイクのイメージが描かれたカード
魔女はその中から数枚を澪の前に並べた。
白
生成り
淡いグレー
薄いゴールド
深いグリーン
「百合の女性に必要なのは清潔感だけではありません。」
魔女は言った。
「余白、縦のライン、なめらかな質感、静かな艶、そして香り。」
澪はカードを見つめる。
「私は白が苦手です。」
「なぜですか?」
「汚れが目立つし、太って見える気がして。あと…自分には清楚すぎる気がします。」
魔女は首を振った。
「白は清楚な人だけのものではありません。」
「そうなんですか?」
「白は覚悟の色です。」
澪は目を見開いた。
白は覚悟の色。
そんな風に考えたことはなかった。
「白は誤魔化しがきかない。汚れも、皺も、扱い方も出ます。だからこそ自分を丁寧に扱う意識が育ちます。」
澪は白い服を避けてきた理由が少し分かった気がした。
汚れるのが怖かったのではない。丁寧に扱わなければいけない自分になるのが怖かったのかもしれない。
魔女は次に淡いゴールドのカードを示した。
「アクセサリーは小さくても本物の光を。」
「本物……」
「高価である必要はありません。しかし貴女に品格を与えるものを選びなさい。」
澪は自分の耳元に触れる。
最近はほとんどピアスもつけていなかった。
職場では邪魔になる。誰も見ていない。面倒くさい。そう思っていた。
しかし本当に誰も見ていないのだろうか。
少なくとも、自分は自分を見ていたはずだ。
魔女は香りのカードを一枚引いた。
そこには白い花と月の絵が描かれていた。
「香りは強く主張する必要はありませんが、百合の女性の香りは記憶に残る個性的なものがいいでしょう。」
澪は少し顔を赤らめる。
「香水って難しそうです。」
「難しく考えなくていいのです。まずは貴女自身が好きだと思える香りを身につけること。誰かを誘惑するためではなく、貴女が貴女の中に戻るために。」
「自分の中に戻るため……」
「ええ。香りは魂の居場所を教えてくれます。」
澪はその言葉を書き留めた。
香りは、魂の居場所を教えてくれる。
魔女はさらにもう一枚カードを出した。
そこにはランジェリーの絵が描かれていて、澪は思わず視線を逸らした。
魔女はそれに気づき静かに微笑む。
「ここも大切です。」
「見えないところですよね。」
「だからこそです。」
魔女の声はやわらかく、しかし逃げ場がなかった。
「誰にも見えない場所をどのように扱うか。それがその人の自己愛をよく表します。」
澪は膝の上で手を握った。
下着。
最近は楽なものばかり選んでいた。色も形も特にこだわりはない。誰かに見せる予定もない。だから何でもいいと思っていた。
しかし魔女の前では、その「何でもいい」が少し悲しく感じられた。
「百合の女性は、肌に触れるものを粗末にしてはいけません。」
魔女は言った。
「それは誰かに見せるためではありません。貴女が自分の身体をどのような器として扱うかの問題です。」
澪は黙った。
自分の身体を器として扱う。そんな感覚を持ったことはない。
体は疲れるもの。老いていくもの。隠したいもの。若い頃とは違ってしまったもの。そんな風にしか見ていなかった。
魔女は澪を見つめた。
「澪さん。貴女の身体は貴女の花が咲く場所です。」
その言葉に澪の胸が詰まった。
花が咲く場所。
自分の身体は責めるものではなく、咲くための場所なのだろうか。
澪はゆっくりと頷いた。
「分かりました。」
声は小さかった。しかし確かに自分の中から出た声だった。
「やってみます。」
魔女は微笑んだ。
「それで十分です。」
その夜、澪は花人手帖に魔女からの課題を書いた。
百合の女として外側を整える
一、白を恐れない
一、髪に艶を出す
一、唇に血色を戻す
一、肌に触れるものを丁寧に選ぶ
一、自分の香りを持つ
一、背筋を伸ばし空間に余白を作る
一、自分を安く扱わない
書き終えたページはまるで新しい自分への処方箋のようだった。
秘密の花園を出る時、魔女は澪に白い封筒を渡した。
「これは?」
「百合の女のための、小さな道しるべです。」
澪が中を覗くとそこには一枚の紙が入っていた。
紙にはこう書かれていた。
百合は急がない
百合は媚びない
百合は隠れない
百合は静けさで空間を変える
澪はそれを大切に鞄へしまった。
翌日は土曜日だった。
澪はいつもより少し早く起きる。
休日の朝はだらだらとスマートフォンを見て過ごすことが多かった。
誰かの結婚報告や旅行写真。綺麗な朝食や子どもの笑顔。
見なければいいのに見てしまう。
そして、何もしていない自分だけが取り残されているような気持ちになる。
しかしその朝、澪はスマートフォンを手に取らなかった。
代わりに花人手帖を開く。
百合の女として、外側を整える
その文字を見て澪は小さく息を吸った。
「まずは、服。」
声に出してみる。
自分のために何かを始める時、宣言しないとすぐに日常へ戻ってしまいそうだ。
澪はクローゼットを開ける。中には似たような服ばかりが並んでいた。
黒、紺、グレー、ベージュ。
便利な服。無難な服。誰にも何も言われない服。
一枚ずつ手に取ってみると、どの服にも「好き」という感情があまりない。
「悪くない」「合わせやすい」そう思って買った服ばかりだった。
澪はベッドの上に服を並べ、しばらく黙って見つめた。
今までの自分がそこにいた。
悪くない女。使いやすい女。合わせやすい女。
胸の奥が少し痛んだ。
「私、服までそんな風に選んでたんだ。」
誰に言うでもなく呟いた。
その日、澪は久しぶりに街へ出た。
目的のない買い物ではない。
百合の女として、自分を整えるための買い物。それだけで少し背筋が伸びる。
百貨店の中は明るかった。
化粧品売り場の香り。磨かれた床。ガラスケースの光。綺麗に並んだ服。
以前なら少し居心地が悪かった。自分には場違いな気がして早足で通り過ぎていたが今日は違う。
澪はゆっくり歩いた。
まず目に入ったのは白いブラウスだった。真っ白ではなく少し温かみのあるアイボリー。
なめらかな生地で首元が詰まりすぎておらず、袖口に小さな艶があった。
澪は手に取った。柔らかい。しかし頼りない柔らかさではない。
「ご試着されますか?」
店員に声をかけられ澪は一瞬迷った。
いつもなら「見ているだけです。」と言って逃げていたが今日は違う。
「お願いします。」そう言った自分の声に澪自身が驚いた。
試着室でブラウスを着た瞬間、澪は鏡の前で固まった。
似合わないと思っていた白。しかし鏡の中の自分は思っていたほど浮いていなかった。
むしろ顔色が少し明るく見える。首元に余白ができ、背筋を伸ばしたくなる。
澪はそっと髪を下ろしてみた。いつもより少し女らしく見えた。
そのことに澪は戸惑った。
嬉しい。けど怖い。
自分が女に見えることがこんなにも怖いとは思わなかった。
試着室のカーテンの向こうから店員が声をかけた。
「いかがですか?」
澪は鏡の中の自分を見つめる。
そして小さく答えた。
「……買います。」
その後、澪は小さな淡いゴールドのピアスを買った。耳元で静かに光るもの。
次に化粧品売り場でリップを選んだ。
これまで澪は唇の色をほとんど消すようなベージュばかり選んでいた。
目立たないように。きちんとして見えるように。
しかしその日は血色のあるローズを選んだ。
店員が鏡の前で塗ってくれた時、澪はまた固まる。
顔が少し生きて見えたのだ。
若返ったわけではない。別人になったわけでもない。ただ、そこに血が通ったように見えた。
次に香りを探した。
いくつものムエットを試した。
甘すぎるもの。爽やかすぎるもの。強く残りすぎるもの。
どれも違う気がする。
諦めかけた時、店員が白い花を基調にした香りを差し出した。
澪はそれを手首に少しだけつけた。
最初は柔らかく、時間が経つと肌の奥から静かに香る。
派手ではない。しかし忘れられない。
澪は目を閉じる。
秘密の花園の百合を思い出した。
「これにします。」
最後に澪はランジェリー売り場へ向かう。足が少し重い。
そこは澪にとって一番気恥ずかしい場所だった。
誰かに見られているわけでもないのに、自分の中の女を見られるような気がした。
売り場には美しいランジェリーが並んでいる。
白
アイボリー
淡いピンク
黒
深い赤
澪はいつもの癖で実用的なベージュに手を伸ばしかけた。
しかし途中で止める。
百合の女性は、肌に触れるものを粗末にしてはいけません。
魔女の声が蘇る。
澪はアイボリーのレースがあしらわれたものを手に取った。
派手ではないが丁寧だ。肌に触れる部分が柔らかく、形も美しい。
誰に見せる予定もない。その事実は変わらない。しかしだからこそ、澪はそれを選んだ。
誰かに見られるためではなく、自分の身体を粗末に扱わないために。
買い物を終えた頃には夕方になっていた。
澪の手にはいくつもの紙袋がある。
少し使いすぎたかもしれない。そう思わないわけではなかった。
しかし不思議と後悔はない。それは浪費ではなく、自分に水をやる行為のように感じられた。
家に帰ると澪はまず古い下着を整理した。
伸びたもの、色褪せたもの、何となく残していたもの。
ひとつひとつ見ていると少し悲しくなる。
自分はこんなにも長いあいだ、自分に「これでいい」と言い続けてきたのだ。
澪は袋を用意し古いものを手放し、新しい下着を引き出しに入れる。
それだけで部屋のどこかに小さな光が差したような気がした。
翌週の月曜日。
澪は買ったばかりのアイボリーのブラウスを着た。
淡いゴールドのピアスをつけ、ローズのリップを塗った。
髪はいつものようにきつく結ばず、低い位置でゆるくまとめ後毛も出した。
手首には香りをほんの少しだけ。
鏡の前に立つ。
そこには見慣れた自分がいた。しかし、いつもの自分ではなかった。
派手ではない。若作りでもない。それなのに確かに何かが違う。
澪は鏡の中の自分に向かって小さく言った。
「おはよう。」
自分に挨拶をしたのは、もしかすると初めてかもしれなかった。
会社に着くと少しだけ周りの視線を感じた。
気のせいかもしれない。けれど、いつもより見られている気がする。
澪は緊張した。
失敗しただろうか。白なんて着てこなければよかっただろうか。
そう思った時、隣の席の同僚が言った。
「白石さん、今日なんか雰囲気違いますね!」
澪の胸が跳ねる。
「変ですか?」
反射的にそう聞いてしまった。
同僚は首を振った。
「いえ、綺麗です。すごく似合ってます!」
澪は言葉を失った。
綺麗。その言葉を真っ直ぐ受け取ることができなかった。
いつものように「そんなことないです!」と言いかけた。
しかし澪は一瞬だけ踏みとどまる。
そしてゆっくり言った。
「ありがとうございます。」
たったそれだけ。それだけなのに心臓が大きく鳴った。
否定しなかった。自分に向けられた光を、すぐに払い落とさなかったのだ。
そのことが澪には小さな事件のようだった。
午前中、佐伯さんと廊下ですれ違った。澪の胸はやはり痛む。
完全に平気になったわけではない。彼が結婚する現実は変わらない。
しかしその日の痛みは前より少し違っていた。
彼に選ばれなかった自分という痛みだけではない。
自分を選び始めたばかりの自分が、まだ少し不慣れで震えている痛みだった。
佐伯さんは澪を見て少し驚いたように言った。
「あれ、白石さん。雰囲気変わりました?」
澪は一瞬言葉に詰まる。
以前ならこの一言だけで一日中考え込んでいたかもしれない。
彼が気づいてくれた。どういう意味だろう。
変って、良い意味だろうか。少しは意識してくれただろうか。
しかしその日は違う。
澪は微笑んだ。
「少し服を変えてみました。」
それだけ。
佐伯さんは「いいですね。似合ってます。」と穏やかに笑った。
胸は痛んだ。嬉しくもあった。しかし澪はその言葉にしがみつかなかった。
佐伯さんに褒められたから今日の自分に価値があるのではない。
今朝、鏡の前で自分に「おはよう」と言えた時から今日の自分には価値があった。
澪は初めてその違いを感じた。
昼休み。
澪は花人手帖を開いた。
そして今日の出来事を書く。
綺麗だと言われた。
否定しなかった。
それだけで少し咲いた気がした。
書きながら澪は笑った。
少し咲いた。
そんな表現を自分に使う日が来るとは思わなかった。
仕事が終わった後、澪はまっすぐ帰らずまた秘密の花園へ向かう。
報告したかったのだ。
自分が白を着たこと、香りを選んだこと、古い下着を捨てたこと、綺麗と言われて否定しなかったこと。
扉を開けると魔女はいつもの席にいた。まるで澪が来ることを知っていたかのように。
「いらっしゃいませ、澪さん。」
魔女は澪を見て静かに微笑む。
「百合が少し目を覚ましましたね。」
澪は顔を赤らめた。
「まだ全然です。」
「その“まだ”が、美しいのです。」
魔女は言った。
「花は一晩で満開になる必要はありません。つぼみがほどける時間も花の一部です。」
澪は席に座る。そして今日あったことを話した。
同僚に綺麗だと言われたこと。
佐伯さんに雰囲気が変わったと言われたこと。
それを以前のように恋の意味へ変換しなかったこと。
話しながら澪は自分でも驚いていた。
昨日までなら佐伯さんの一言が世界の中心だったのに、今はその一言も、澪の一日の中に咲いた小さな出来事のひとつに過ぎなかった。
魔女は紅茶を注ぎながら聞いていた。
「良い変化です。」
「そうでしょうか?」
「はい。」
魔女は言った。
「貴女は今日、他人の視線を自分を責めるものとしてではなく、自分の開花を映すものとして受け取りました。」
澪はその言葉をゆっくり理解しようとした。
「視線が怖くなくなるんでしょうか?」
「完全に怖くなくなる必要はありません。」
魔女は答えた。
「少し怖くても、咲くことをやめなければいいのです。」
澪は頷いた。
「今日、白を着てみて……思ったんです。」
「何をですか?」
「白って守られている感じもするけれど、逃げられない感じもします。」
魔女は嬉しそうに目を細めた。
「とても良い感覚です。」
「良いですか?」
「ええ。百合の白は逃げるための白ではありません。自分の存在を明るみに出すための白です。」
澪は胸の奥がまた少し熱くなった。
魔女は続ける。
「澪さん、装いを変えるということはただ綺麗になることではありません。」
「はい。」
「自分に対する態度を変えることです。」
澪は黙って聞いた。
「貴女が自分を丁寧に扱えば、世界に対してこう示すことになります。この女性は、粗末にしてはいけない女性なのだと。」
澪は息を止めた。
この女性は粗末にしてはいけない女性。
そんな風に誰かに思われたいと願っていた。
しかしそれ以前に、自分が自分をそう扱っていなかった。
「私、ずっと誰かに大切にされたかったんです。」
澪は小さく言った。
「けど、自分では自分を大切にしていませんでした。」
魔女は静かに頷いた。
「気づいたのならそこから変わります。」
「遅くないですか?」
「澪さん」
魔女は澪をまっすぐ見た。
「遅いと責める声は過去の声です。花人は過去の声に未来を明け渡しません。」
澪の目に涙が滲む。
過去の声。もう遅い。今さら痛い。似合わない。選ばれない。欲しがってはいけない。
それらは未来の真実ではなかった。ただ過去から聞こえてくる声だった。
魔女は言う。
「今日の貴女にひとつ宿題を出します。」
「宿題ですか?」
「はい。」
魔女は白いカードを一枚澪に渡した。そこにはこう書かれていた。
私は私を粗末に扱わない。
魔女は言った。
「これを朝と夜に一度ずつ声に出してください。」
澪はカードを見つめた。
「声に出すんですか?」
「はい。言葉は身体に染み込ませる必要があります。」
「恥ずかしいです…」
「恥ずかしいということは、まだ慣れていないということです。」
魔女は微笑んだ。
「慣れていないだけなら慣れればいいだけです。」
澪は思わず笑った。
魔女の言葉は時々、とても優しいのに逃げ道をすべて塞いでくる。
「分かりました。やってみます。」
魔女は頷いた。
「百合の女性は自分を安く扱わない。それを毎日思い出してください。」
その夜、家に帰った澪は買ったばかりの香りを手首に少しだけつける。
部屋の中には二本の百合がある。
一本は開き始めていて、もう一本はまだつぼみだった。
澪は鏡の前に立った。仕事帰りで少し疲れている。
リップも少し落ちている。髪も朝ほど整っていない。
それでも今日の自分を嫌いではなかった。
澪は魔女からもらったカードを手に取った。そして小さな声で読んだ。
「私は私を粗末に扱わない。」
一度目は少し笑ってしまった。芝居の台詞みたいだと思った。
けれど二度目は違った。
「私は私を粗末に扱わない。」
声が部屋の中に静かに落ちる。
自分の耳がその言葉を受け取った。
三度目。
「私は私を粗末に扱わない。」
胸の奥がじんわりと温かくなった。
それは誰かに愛を告げられた時のような派手な幸福ではない。
もっと静かで深いものだ。
自分が自分に初めて約束をしたような感覚。
澪は花人手帖を開き、今日の最後にこう書いた。
百合の女になるということは、誰かに清楚だと思われることではない。
自分を粗末に扱わないと決めること。
静けさの中に香りを持つこと。
隠れず、騒がず、自分の場所で咲くこと。
書き終えた時、窓の外で風が鳴る。
澪は百合を見た。開きかけた白い花弁が夜の部屋の中で静かに光っている。
その姿は少しだけ自分の未来に似ていた。
まだ満開ではない。けれど確かにほどけ始めている。
澪は灯りを消す前にもう一度鏡を見る。
そこには、昨日までより少し背筋の伸びた女がいた。
白石澪、三十九歳。
長い間自分を咲かせずに生きてきた女。
その夜、彼女は初めて自分の花の名前を知った。
百合。
静かに空間を変える花。
媚びず、追わず、それでも記憶に残る花。
澪は目を閉じ手首の香りをそっと吸い込んだ。
そして小さく呟いた。
「私は私を粗末に扱わない。」
その声はもう震えていなかった。
翌週、澪の百合は少しずつ開いていった。
白いブラウスを着る日が増えた。
髪に艶を出すために丁寧にブラシを通すようになった。
朝、リップを塗る時間を惜しまなくなった。
夜、疲れて帰っても適当に顔を洗って眠ることをやめた。
部屋の床に置きっぱなしだった本を片付け、花瓶の水を毎日替えた。
見えないところの下着を整え、くたびれた部屋着を手放した。
それは誰にも気づかれないような小さな変化の積み重ねだった。
しかし澪には分かった。
世界が変わったのではない。自分の扱い方が変わり始めたのだ。
そして自分の扱い方が変わると、世界からの扱われ方も少しずつ変わる。
駅のホームでガラスに映る自分を見る時。
会社の廊下で背筋を伸ばして歩く時。
コンビニではなく花屋の前で足を止める時。
澪は少しずつ自分が自分の人生に戻ってきているのを感じていた。
ある日の昼休み、同僚が澪の手元を見て言った。
「白石さん、最近なんか楽しそうですね。」
澪は驚いた。
「そう見えますか?」
「うん。前より柔らかいというか。綺麗になったというか。」
綺麗。
その言葉を澪は今度も否定しなかった。
「ありがとうございます。」
そう言って微笑んだ。
その日、澪は花人手帖に書いた。
褒められても否定しない。
それは傲慢ではなく、自分の花を踏まないということ。
書き終えた時、スマートフォンが震えた。
魔女からのメッセージだった。
澪さん。百合が開き始めましたね。
しかし忘れないでください。花が咲き始めると、必ず風が吹きます。
次に貴女が学ぶのは地獄の扱い方です。
地獄。
その文字に胸がざわついた。
せっかく少しずつ前を向けてきたのに。自分を丁寧に扱えるようになってきたのに。
地獄とは何のことだろう。
澪は不安を覚えながらも、どこかで分かっていた。
人生は少し綺麗になったくらいで、簡単に優しくなってくれるわけではない。
花として咲くなら、雨も、風も、暗い夜も避けられない。
その日の夕方。
給湯室の前を通りかかった澪は同僚たちの声を聞いた。
「佐伯さんの奥さん、もう妊娠してるらしいよ。」
澪の足が止まる。
世界の音が一瞬で遠のいた。
手首に残っていた百合の香りが、急に苦しくなるほど濃く感じられた。
白いブラウスの胸元をそっと握る。
咲き始めたばかりの花に、冷たい雨が落ちた。
この物語はフィクションです。
少し綺麗になった。前を向けた。自分を好きになれた。
その瞬間に過去の痛みが戻ってくる。
忘れたはずの人や、諦めたはずの願い。見ないふりをしてきた孤独など。
けれどそれは後戻りではありません。
花が咲き始めたからこそ、今まで眠っていた痛みもまた光の中に出てくるのです。
花人として生きるとは綺麗な服を着ることだけではありません。
自分の花を知り、その花にふさわしく外側を整え、肌に触れるものを丁寧に選び、香りを纏い、自分を粗末に扱わないと決めること。
そして現実の痛みに触れても自分の花を捨てないこと。
貴女の花は何でしょうか?
どの花であっても、まず大切なのは貴女が自分を雑に扱うことをやめることです。
次回、第4話。
「この世は地獄である」

セッション期間 2026年4月〜6月
セッション料金 ¥38,000-(事前振り込み)
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