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真島あみの真骨頂🌹永遠に色褪せない“褒め言葉”という美容液

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澪は部屋に花を飾るようになる。
以前の澪ならそんなことはしなかった。
花屋の前を通ることはあっても、足を止めることはほとんどなかった。
綺麗だな、とは思う。けれど花は特別な日に買うものだと思っていた。
誰かに贈るものであり、誰かから贈られるもの。
誕生日や記念日やお祝いの日にだけ許されるもの。
自分のために花を買うなんて私には贅沢で、少し気恥ずかしくて、自分にはまだ似合わない気がしていた。
しかし魔女は以前こう言った。
「澪さん。花を特別な日の飾りにしてはなりません。花は暮らしの中に迎え入れるものです。貴女の部屋に花があるということは、貴女の毎日の中に花の呼吸が入るということ。花人として生きるのなら、まずは花と共に暮らすことから始めなさい。」
その言葉を聞いてから、澪は少しずつ花屋に寄るようになった。
最初は一輪だけ。
白い小さな花を買って家にあった細いグラスに挿した。それだけで部屋の空気が少し変わった。
仕事から帰り灯りをつけた時、机の上に花がある。
ただそれだけのことなのに、その部屋がただ眠るためだけの場所ではなくなった気がした。
誰かに見せるためではない。褒められるためでもない。自分のために花を迎える。
それは澪にとってとても小さく、しかし確かな革命だった。
その土曜日、澪は昼過ぎに家を出た。
空は薄く曇っていて、真夏ほど強くはない光が街の輪郭を少し柔らかくしている。
澪は白いワンピースの上に薄いカーディガンを羽織っていた。
百合として生きる。
そう決めてから澪の服選びは少し変わった。
派手な服を着るようになったわけではない。むしろ以前よりも静かになったかもしれない。
けれどその静けさの中に少しだけ芯が通るようになった。
何となく選ぶのではなく、「これは私の花にふさわしい?」と考えるようになった。
髪を整える時も、香りを選ぶ時も、ランジェリーを選ぶ時も、靴を履く時も、
“私は今日も百合として世界に出る”
そう思うだけで背筋がほんの少し伸びた。
駅から少し歩いたところにその花屋はあった。
白い壁。木枠の窓。
店先には季節の鉢植えが並び、入口の上には小さな金色のベルがついている。
扉を開けると、涼しい空気と一緒に花と水の匂いが澪を包んだ。
その匂いを吸い込むたびに澪はいつも深く息ができる気がした。
生きているものの匂い。
咲いているもの。これから咲くもの。切られたあとも美しくあろうとするもの。
花屋の中にはいくつもの季節が重なっている。
淡いピンクの薔薇。濃い紫のトルコキキョウ。白いカラー。小さなかすみ草。
そして奥の背の高い花瓶には白百合が静かに活けられていた。
澪は自然とその前で足を止める。
百合。
自分の花。
魔女にそう告げられた日から、澪にとって百合はただの美しい花ではなくなった。
それは自分が自分へ戻るための印のようなものだった。
白い花弁。まっすぐな茎。深く清く、そして官能的な香り。
百合は誰かに媚びるようには咲かない。しかし決して閉じてもいない。
近づく者にははっきりと香る。遠くにいる者には無理に届こうとはしない。
その在り方が澪には眩しかった。
澪が百合に手を伸ばしかけた時だった。
すぐ横から声がした。
「白い百合、お好きなんですね。」
澪は驚いて振り向いた。
そこにはひとりの男性が立っていた。年齢は澪と同じくらいだろうか。
黒に近い紺色のシャツに整ったジャケット。
派手な印象はない。けれど身につけているものも立ち姿も、余計なものが削ぎ落とされていた。
手には何枚かの紙と小さな革の手帳を持っている。
澪は一瞬言葉に詰まった。見知らぬ男性に話しかけられること自体、最近はあまりなかった。
「あ……はい。好きです。」
そう答えてから少し照れた。
好きです、という言葉が、自分の内側のとても静かな場所から出てきた気がした。
男性は百合を見る。
「白い花は不思議ですね。」
「不思議、ですか?」
「ええ。何もない色に見えるのに、いちばん誤魔化しがきかない。」
澪はその言葉に思わず百合を見上げた。
男性は続ける。
「余白があるほど、強く見える気がします。」
余白。その言葉が澪の胸の中で響いた。
白は何もない色ではない。むしろ何も足さないことで、そこにあるものがはっきり見えてしまう色なのかもしれない。
澪は自分の白いワンピースの袖口を見る。
「余白があるほど、強く見える……。」
小さく繰り返すと男性は少しだけ微笑んだ。
「すみません。仕事柄、紙や装丁を見ることが多いので、つい。」
「装丁のお仕事をされているんですか?」
「はい。本の装丁や紙まわりのデザインを少し。」
そう言って彼は手元の紙を見せた。そこには花の名前といくつかの色のメモが書かれていた。
「ある本の表紙に使う花を探していて。白い花を見に来たんです。」
「本の表紙に花を?」
「ええ。言葉に合う花を探すのが思ったより難しくて。」
澪はその言い方が不思議と心に残った。
花に合う言葉、ではない。言葉に合う花。
まるで言葉にも香りや色があるみたいだと思った。
「どんな本なんですか?」
澪が尋ねると、男性は少し考えるように視線を落とした。
「……分かりやすく派手な救いではなくて、傷ついた人が自分の輪郭を少しずつ取り戻していくような本です。」
その言葉に澪の胸が小さく揺れる。
傷ついた人が自分の輪郭を取り戻していく。それはまるで今の自分のことを言われたようだった。
もちろん彼は何も知らない。澪の過去も、片思いも、魔女のことも、花人のことも。
それなのにどうして言葉だけがこんなに深いところへ届くのだろう。
「そういう本なら白い花が合いそうですね。」
澪は言った。
「白は始まりにも見えるし、終わりにも見える気がします。」
男性が少し驚いたように澪を見た。その視線に澪は急に恥ずかしくなった。
「すみません。私も、つい。」
「いえ。」
男性は穏やかに首を振った。
「とても綺麗な見方ですね」
綺麗な見方。そう言われて澪は胸の奥がふっと熱くなった。
綺麗ですね、ではない。可愛いですね、でもない。
綺麗な見方ですね。
その言葉は澪の外側ではなく内側に触れてきた。そこが少し怖かったけど、不快ではなかった。
むしろ長い間誰にも見られなかった場所にそっと光が当たったような気がした。
その時、店の奥から店主が出てきた。
「朝倉さん、こちらの花束でよろしいですか?」
男性は振り返った。
「ああ、ありがとうございます。」
朝倉さん。
その名前が澪の耳に残った。
店主は白い花だけで組まれた小さな花束を持っている。
白百合。白いトルコキキョウ。少しだけグリーン。余白のある美しい花束だった。
朝倉と呼ばれた男性は花束を確認しながら頷いた。
「綺麗ですね。これでお願いします。」
それから澪の方へ向き直った。
「すみません。急に話しかけてしまって。」
「いえ……。」
澪は少し迷ったあと、正直に言った。
「嬉しかったです。百合の話ができて。」
朝倉は少しだけ表情を和らげた。
「それならよかったです。」
それ以上彼は踏み込んでこなかった。
名前を聞かれることもなかった。連絡先を求められることもなかった。
また会いましょう、と軽く言われることもなかった。
ただ花束を受け取り、店主に礼を言い、澪にも静かに会釈をして店を出て行った。
扉のベルが小さく鳴る。澪はしばらくその音の余韻を聞いていた。
何かが起こったわけではない。恋が始まったわけでもない。運命だと呼ぶにはあまりにも短い会話だ。
しかし何もなかったとは思えなかった。
花屋の空気の中を見えない何かが静かにかすめていった。
羽音。
澪の胸にそんな言葉が浮かんだ。
店主に声をかけられて澪は我に返った。
「お花、どちらになさいますか?」
澪は百合を一輪と白いトルコキキョウを数本選んだ。
花を包んでもらっている間も、澪の中には朝倉という名前と余白という言葉が残っていた。
花屋を出ると外の空気は少し湿っていた。雨が近いのかもしれない。
澪は包まれた花を胸に抱え、そのまま秘密の花園へ向かう。
黒い鉄の門をくぐると街の音が遠くなる。
蔦の絡む壁。湿った土の匂い。奥へ続く石畳。
花園はいつも少し現実から離れている。
けれどここへ来るたびに、澪は現実から逃げているのではなく本当の現実へ戻っているような気がした。
温室の中には魔女がいた。
黒いドレスの裾が夜の水のように床へ流れている。
テーブルの上には紅茶と、白い花を浮かべた小さな器が置かれていた。
魔女は澪を見るなり微笑んだ。
「今日は百合を連れていらしたのですね。」
「はい。部屋に飾ろうと思って。」
「いいですね。」
魔女はそう言ってから澪の顔をじっと見た。
「しかしそれだけではなさそうです。」
澪は少し驚いた。
「分かりますか?」
「分かりますとも。花を買った人の顔と、何かに出会った人の顔は少し違いますから。」
澪は椅子に座り花屋での出来事を話した。
白百合を見ていたこと。
装丁の仕事をしているらしい男性に話しかけられたこと。
白い花は余白があるほど強く見える、と言われたこと。
彼が店主から朝倉さんと呼ばれていたこと。
そしてほんの短い会話なのに、なぜか胸に残っていること。
話し終えると澪は少し恥ずかしくなった。
「本当にそれだけなんです。何かがあったわけではないですし、相手の方もただ花の話をしただけだと思います。」
魔女は紅茶のカップを静かに置いた。
「澪さん。特別な出来事だけが運命の入口とは限りません。」
澪は顔を上げる。
魔女の瞳はいつもより少し深く見えた。
「花の世界には送粉者というものが存在します。」
「送粉者……。」
「ええ。花粉を運ぶ者です。花の命を次の場所へ運んでいくもの。花の内側で育ったものを未来へ渡していくもの。人間の世界ではそれが男性であることもあります。しかしそれだけではありません。人間であることも、仕事であることも、言葉であることも、場所であることもあります。貴女の中で育った蜜や花粉をまだ見ぬ未来へ運んでいくもの。それが送粉者です。」
澪は花屋の朝倉を思い出した。
静かな声。白い花を見る眼差し。余白という言葉。
「では今日の方も……送粉者なのでしょうか?」
魔女は少しだけ笑った。
「今はまだ気配といえるでしょう。」
「気配。」
「ええ。花のそばを、羽音が一度かすめたくらいのことです。」
澪はその表現に胸を打たれた。たしかにあれは出来事というより気配だった。
何かが始まったとまでは言えないが、まったく何もなかったとも言えない。
心の表面ではなく、もっと奥の方にかすかに風が触れたような感覚。
「以前の私なら、たぶんすぐに期待していました。」
澪はぽつりと言った。
「また会えるかなとか、私に興味があったのかなとか、何か始まるのかなとか。」
魔女は責めることなく頷いた。
「それは自然なことです。誰かに見つけてほしいと願っていた時間が長いほど、小さな気配をすぐ救いに変えたくなるものです。」
澪は佐伯のことを思い出した。長い間好きだった人。
彼が結婚すると知った時、澪は自分の人生が置き去りにされたような気がした。
けれど本当は彼に置き去りにされたのではない。彼に選ばれたら自分の人生が始まると勝手に信じていたのだ。
誰かの視線を自分の価値の証明にしようとしていた。
魔女は言った。
「澪さん。送粉者は花を救う王子ではありません。花の価値を決める者でもない。貴女が咲くから近づいてくる。貴女が蜜を育てるから気づく。貴女が香りを持つから運ばれていく。順番を間違えてはなりません。」
「順番……」
「ええ。愛されたから咲くのではなく、見つけられたから花になるのでもありません。花はまず咲くのです。咲くから見つける者が現れる。蜜を持つから運ぶ者が近づく。貴女の花の価値は、誰かに選ばれた瞬間に生まれるものではありません。」
澪の目の奥が少し熱くなった。ずっと逆だと思っていたのだ。
誰かに選ばれたら私は女になれる。誰かに必要とされたら私は生きていていいと思える。
けれど花は、誰かの許可を得てから咲くのではない。自分の季節が来たから咲く。ただそれだけ。
「私は……まだ、誰かに救ってもらいたい気持ちがあるのかもしれません。」
澪が言うと魔女はやわらかく微笑んだ。
「それも悪いことではありません。花人とはいえ人間ですもの。誰かに見つけられたい夜も、誰かに抱きしめられたい夜もあって当然です。」
その言葉に澪の肩の力が少し抜けた。
魔女は続ける。
「しかしそこで自分の根を抜いてはなりません。」
「根を……」
「はい。送粉者の気配がした時、花人の方が慌てて根を抜いて相手の方へ走ってしまうことがあります。」
澪は胸の奥を見透かされた気がした。
好かれたいから相手に合わせる。嫌われたくないから自分の言葉を飲み込む。
返事を待ち続けて自分の一日を失う。
相手の態度ひとつで自分の価値まで上下させてしまう。
それは確かに、花が自分で根を抜いてしまうことに似ていた。
「私は、もう根を抜きたくありません。」
魔女は頷いた。
「はい。貴女はもう誰かの通り道に置かれた花ではありません。自分の土を持ち、季節を持ち、自分の蜜を育てる花です。送粉者の気配がしても慌てず、騒がず、追いかけず、まずは貴女自身が咲いていなさい。」
澪は胸の中でその言葉を何度も繰り返した。
まずは咲く。
追いかけるのではなく咲く。選ばれるためではなく咲く。
それが花人としての順番なのだ。
その夜、澪は花園を出る前にノートを開いた。そして魔女の言葉を書き留める。
花は送粉者を追いかけない
送粉者は花の価値を決める者ではない
咲くから見つける者が現れる
蜜を持つから運ぶ者が近づく
書いているうちに花屋で見た白百合が浮かんだ。
余白があるほど強く見える。その言葉は澪の中で静かに残り続けていた。
私は、何も足りない女なのではない。余白を持った花なのかもしれない。
まだ書かれていない場所がある。
まだ咲いていない場所がある。
まだ誰にも渡していない蜜がある。
そう思うと胸の奥に小さな灯りがともった。
家へ帰ると、澪は買ってきた百合を花瓶に活けた。
白い花弁が部屋の灯りの中で静かに浮かび上がる。
トルコキキョウの柔らかな白が、百合の凛とした白をそっと支えていた。
澪はしばらくその花を見つめた。
朝倉という男性のことを思い出す。
また会えるのだろうか。
少しだけそう思った。しかしそれ以上は追いかけなかった。
意味を決めようともしなかった。
運命という名前をつけるにはまだ早い。
けれど、何もなかったことにしてしまうには少しだけ美しかった。
そのくらいでいい。そのくらいが今の澪にはちょうどよかった。
澪はノートを開き今日の最後に一行だけ書いた。
送粉者の気配がした。けれど私は私の根を抜かなかった。
その一文を見つめていると、胸の奥が満ちていった。
誰かに選ばれたからではない。愛されたからでもない。
ただ自分の花のままでいられたことが、こんなにも嬉しいのだと澪は初めて知った。
窓を少し開けると夜風が入ってきた。白百合の花弁がほんのわずかに揺れる。
それはまるで、見えない羽音が一度だけ澪の部屋をかすめていったようだった。
第四話では、澪が初めて“送粉者の気配”に触れました。
花人にとって送粉者とは、ただの恋愛相手や運命の男性のことではありません。
自分の中で育てた蜜や花粉をまだ見ぬ未来へ運んでくれる存在。
それは人であることもあれば仕事、言葉、場所、出来事であることもあります。
しかし大切なのは送粉者を探しに行くことではありません。
花は蜂を追いかけない。
花は自分の場所で咲き、自分の蜜を育て、自分の香りを放つことでふさわしい送粉者を呼びます。
私たちも同じです。まず自分が咲く。
自分の花を整え、蜜を育て、自分の世界を美しくしていく。その先で出会うものだけが、自分の人生を次の場所へ運んでくれるのだと思います。
澪はまだ、朝倉という存在が自分にとって何なのか分かっていません。
運命なのか。ただの通りすがりなのか。
しかし今の澪はそれを急いで決めようとはしませんでした。これは彼女にとって大きな変化です。
誰かの気配に心が揺れても自分の根を抜かない。
花人として生きるとは恋をしないことではありません。
むしろ恋をしても、心が揺れても、誰かに惹かれても、花として咲くことをやめないこと。
今回の澪はその最初の一歩を踏み出しました。
貴女も思い当たることがないでしょうか。
誰かの言葉ひとつで自分の価値が上がったり下がったりする。
返信が来ないだけで自分の一日が台無しになる。
相手に好かれようとして本当の自分を少しずつ薄めてしまう。
もしそうなら思い出してください。
貴女は誰かの反応で咲く花ではありません。貴女は貴女の季節に咲く花です。
送粉者の気配がした時ほど慌てず、騒がず、追いかけず。
まずは自分の根を深く張る。そして自分の花として咲いていること。
それがふさわしい未来を呼ぶためのいちばん美しい姿なのだと思います。
次回、第五話。
「言葉という蜜」
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1番人気の記事です。是非読んでみてください。

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