真島あみオフィシャルブログ
21世紀的魔女論

第2話 花人とは、花そのものとして生きる女


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翌朝、澪はいつもより少し早く目を覚ました。

カーテンの隙間から薄い朝の光が差し込んでいる。

部屋はいつも通りだった。

ベッドの横に積まれた本。
昨夜、飲みかけのまま置いた水のグラス。
椅子の背にかかった通勤用のカーディガン。
洗面台の横に並んだ、使い慣れた化粧品。

何ひとつ変わっていない。

しかし、澪の中だけがほんの少し違っていた。

夢だったのだろうか。

昨夜のことを思い出す。

駅とは反対側の道。
古い洋館。
金色の文字で書かれた「秘密の花園」
花の香り。
白い百合。
黒いワンピースの魔女。

そして、あの言葉。

貴女は、枯れてなどいません。
まだ、本当の意味で咲いたことがないだけです。

澪は布団の中で胸元に手を当てた。

夢にしてはあまりにも感触が残っていた。

魔女の声も。紅茶の香りも。
手のひらに触れた百合の茎の冷たさも。

澪は勢いよく体を起こした。

鞄の中を探る。そこには、確かにあった。

黒いカード。

そして白い花人手帖。

澪は息を止めた。夢ではなかった。

手帖を開くと、最初のページに自分の文字が残っていた。

誰かに選ばれるまで、自分の人生を始めない生き方を終わりにする。

昨夜、自分が書いた一文。

少し震えた字だった。

けれどその文字は、澪が思っていたよりも強く見えた。

まるで昨日までの自分に向けた小さな絶縁状のようだった。

澪はしばらくそのページを見つめていた。

終わりにする。

そんなことを、自分に許したことがあっただろうか。

嫌なことも。苦しいことも。報われない想いも。
何となく続いてしまう毎日も。

澪はいつも終わらせることが苦手だった。

いつか変わるかもしれない。そのうち慣れるかもしれない。
自分さえ我慢すれば済むかもしれない。

そうやって何も決めないまま、時間だけを流してきた。

しかし昨夜、澪は確かに書いた。

終わりにすると。たった一行。

それだけなのに部屋の空気が少し違って見えた。

澪はベッドから出て洗面台の前に立つ。

鏡の中にいつもの自分がいた。

少し疲れた顔。乾いた唇。
寝癖のついた髪。
職場で浮かないように整えられた無難な自分。

澪はその顔をじっと見る。昨日までなら目をそらしていた。

自分の顔を長く見るのが苦手だった。欠点ばかり探してしまうから。

目元の影。頬のたるみ。肌のくすみ。若い頃にはなかった線。

そのひとつひとつが、時間に置いていかれた証拠のように思えていた。

しかしその朝は違った。

鏡の中の自分が、少しだけ知らない女に見えたのだ。

終わりにしたい生き方を知った女。

魔女に出会った女。

まだ咲いたことがないだけだと告げられた女。

澪は小さく息を吐く。

「……私、まだ終わってない。」

声に出してみるとひどく頼りなかった。

けれど、嘘ではなかった。

その日、会社へ向かう道はいつもと同じだった。

駅のホーム。満員電車。
スマートフォンを見つめる人々。
無表情の朝。

澪は車窓に映る自分の顔を見る。

昨日と同じ服で同じ鞄。
昨日と同じ会社へ向かう自分。

しかし鞄の中には花人手帖が入っている。

それだけで澪は少し背筋を伸ばした。

職場に着くと、いつもの空気が待っていた。

佐伯さんもいた。

彼はいつもの席で、いつものようにメールを確認している。

澪の胸が少しだけ痛んだ。

昨日の結婚報告は、当然のようにまだそこにあった。

何も消えていない。彼の左手にはまだ指輪はなかった。

しかしもう澪の知らない人生へ進んでいるのだと思うと、目の奥が熱くなる。

澪はすぐに視線を外す。

その時、隣の席の同僚が声をかけてきた。

「白石さん、昨日大丈夫でした?」

「え?」

「佐伯さんの結婚報告。白石さん、ちょっとびっくりしてたかなと思って。」

澪は一瞬固まった。そんなに顔に出ていただろうか。

「大丈夫です。」

いつものように笑おうとした。

大丈夫。便利な言葉だった。

何も説明しなくて済む。自分の痛みを小さく見せることができる。

しかし言葉の続きを飲み込んだ。

本当に大丈夫なのだろうか。

大丈夫なふりをし続けた結果、昨日の夜、知らない店で泣いたのではなかったか。

澪は少しだけ考えてから言った。

「少し、驚きました。」

同僚は目を丸くした。澪も自分で驚いた。たったそれだけ。

それだけなのに、普段の澪にとってはずいぶん本音に近い言葉だった。

同僚は小さく頷く。

「そうですよね。急でしたもんね。」

それ以上深く聞かれることはなかった。

会話はすぐに終わった。

しかし澪の中には小さな波紋が残った。

大丈夫、と言わなくても世界は壊れない。

少し驚きましたと言っても誰も澪を責めない。

そんな当たり前のことさえ、澪は長いあいだ忘れていた。

昼休み。

澪はいつものようにコンビニで済ませるつもりだった。

しかしふと足を止める。

会社の近くに小さな花屋がある。いつも前を通るだけの店だった。

色とりどりの花が並んでいて綺麗だとは思う。けれど買ったことはほとんどなかった。

花は贅沢品だ。食べられるわけでもない。仕事の役に立つわけでもない。
数日で枯れてしまう。

自分のためだけに花を買うなんて、どこか気恥ずかしかった。

しかしその日は足が自然と花屋に向かう。

店先に白い百合があった。まだつぼみのものと少し開きかけたものが混ざっている。

澪はその前で立ち止まった。昨夜の百合を思い出す。

凛とした白。静かな香り。
そこにあるだけで、空気を変える花。

「百合、お好きですか?」

花屋の女性に声をかけられ澪は少し慌てた。

「いえ、あの……好きというか」

好き。

その言葉を自分に使うことに少し抵抗があった。

けれど澪は言った。

「気になって。」

花屋の女性は微笑む。

「百合はつぼみからゆっくり開いていくので、長く楽しめますよ。」

ゆっくり開く。その言葉が澪の胸に触れた。

澪は百合を一本だけ買った。

会社に戻る途中、白い包みを抱えながら少し落ち着かなかった。

誰かに見られたらどう思われるだろう。

花なんて買って、何かあったのかと思われるだろうか。

しかし誰も澪のことなどそれほど見ていなかった。

街はいつも通り流れている。澪だけが自分の中の小さな変化に戸惑っていた。

家に帰ると澪は空き瓶に水を入れ、買ってきた百合を挿す。

部屋の中に一本の白が立った。それだけで部屋が少し緊張したように見える。

いつもの部屋なのに、誰かを迎える前のような、少し背筋を伸ばした空気。

澪はそれを見てふいに思った。

花は何もしていない。

ただそこにあるだけ。

それなのに、部屋全体を変えてしまう。

その夜、澪は花人手帖を開いた。

何を書けばいいのか分からなかった。

昨日の一文の下に、しばらくペン先を置いたまま考える。

やがて澪はこう書いた。

花は、ただそこにあるだけで空気を変える。

書いた後、自分でも不思議だった。

誰かに聞いた言葉ではない。自分の中から出てきた言葉だった。

その時、スマートフォンが震える。

登録した覚えのない差出人。昨日と同じだった。

澪は画面を開いた。

明日の夜、秘密の花園へいらしてください。
貴女に花人という生き方をお話ししましょう。

澪の胸が高鳴った。

少し怖い。けれどそれ以上に知りたかった。

花人とは何なのか。

なぜ魔女は自分を枯れていないと言ったのか。

自分は本当に、まだ咲けるのか。

翌日の仕事終わり、澪は迷わず駅とは反対側の道へ向かった。

昨日と同じ路地。

しかし不思議なことに、昼間は何度思い出しても場所が曖昧だった。

あの角だっただろうか。あのビルの隣だっただろうか。

記憶の中では確かに存在しているのに、地図で探すと見つからない。

それなのに夜になると、足が勝手に道を知っているようだった。

古い洋館は前夜と同じ場所にあった。

黒い鉄の門
蔦の絡まる壁
淡く光る窓

小さな看板には、やはり金色の文字でこう書かれている。

秘密の花園

澪は深く息を吸い扉を開けた。

からん、と鈴が鳴る。

花の香りが澪を迎えた。

「いらっしゃいませ、澪さん。」

魔女は温室の奥にいた。

今日は黒いワンピースの上に、深い緑のショールを羽織っていた。

その姿は、夜の森から歩いてきた人のようにも見えた。

「来てくださると思っていました。」

澪は少しだけ笑った。

「来ない方がよかったですか?」

「いいえ。」

魔女は静かに首を振った。

「呼ばれた時に来る人は、もう変わり始めています。」

澪は席に座った。前と同じ窓際の席。

テーブルの上には白い百合と、見たことのない薄紫の花が置かれていた。

「今日は花人について教えてくださるんですよね。」

「はい。」

魔女は紅茶を注ぎながら言った。

「澪さん。貴女は花人という言葉を聞いて、どのような女性を思い浮かべますか?」

澪は少し考えた。

「綺麗な女性、でしょうか。」

魔女は微笑んだ。

「多くの方はそうお答えになります。」

「違うんですか?」

「間違いではありません。けれど、それだけでは少し浅いのです。」

魔女はテーブルの百合にそっと触れた。

「花人とは花のような女性のことではありません。」

澪は顔を上げた。

魔女の声が静かに響く。

「花そのものとして生きる女性のことです。」

昨夜も聞いた言葉だった。

しかし、今日はその意味が少しだけ重く感じられた。

「花そのものとして生きる……」

澪は繰り返す。

「それは綺麗になるということですか?」

「もちろん、見た目の美しさも含まれます。」

魔女は言った。

「花にとって外側はどうでもいいものではありません。色、形、質感、香り。それらはすべて、花が世界と関わるための大切な力です。」

澪は少し意外だった。

「外見を整えることって、浅いことだと思っていました。」

「なぜですか?」

「中身が大事だとずっと言われてきたので。」

魔女は小さく微笑んだ。

「中身が大事。正しい言葉です。しかしその言葉の陰で、多くの女性が自分の美しさを後回しにしてきました。」

澪は黙る。

自分にも覚えがあった。

おしゃれをしたいと思ったことはある。明るい色の服を着たいと思ったこともある。

香水をつけてみたいと思ったこともある。しかしそのたびにブレーキをかけていた。

職場にふさわしくない。年齢に合わない。似合わない。
浮いてしまう。誰に見せるわけでもない。

そうやって自分を飾ることを少しずつ諦めてきた。

魔女は言う。

「花は外側を粗末にしません。美しさは花にとって飾りではなく、生きるための力です。」

「生きるための力……」

「はい。花は色で知らせます。形で誘います。香りで呼びます。蜜で迎えます。」

魔女は指先で百合の花弁をなぞった。

「花は自分の存在を隠しません。美しくあることを恥じません。むしろ美しくあることで、必要なものと出会うのです。」

澪は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

美しくあることを恥じない。

それは澪がずっと苦手としてきたことだった。

褒められるとすぐに否定した。

「そんなことないです。」「全然です。」「私なんて。」その言葉を何度使ってきただろう。

謙遜のつもりだったが、本当は自分の存在感を消すための呪文だったのかもしれない。

魔女は続けた。

「そして、花は追いかけません。」

澪ははっとした。

「昨夜もそうおっしゃっていましたね。」

「はい。花は蝶を追いかけません。蜂に媚びることもありません。」

魔女の言葉はゆっくりと澪の中に入ってくる。

「花は自分の場所で咲きます。自分の色を持ち、形を整え、香りを放ち、蜜を宿す。そうして自分に必要な送粉者を引き寄せるのです。」

「送粉者……」

「花粉を運んでくれる存在です。」

魔女は澪を見た。

「花人の世界では、貴女の幸福を運んでくれる人、機会、出来事をそう呼びます。」

澪は驚いた。

「それは男性のことですか?」

「男性であることもあります。」

魔女は答えた。

「しかしそれだけではありません。仕事かもしれません。人との出会いかもしれません。ひとつの言葉かもしれません。偶然開いた本の一節かもしれません。」

澪は昨夜の秘密の花園を思い出した。

自分が駅へ向かわずあの路地へ入ったこと。

あの場所に辿り着いたこと。それも送粉者なのだろうか。

「送粉者は追いかけるものではありません。」

魔女は言った。

「誘引するものです。」

「どうやって?」

「貴女が、貴女の花として咲くことで。」

澪は困ったように笑った。

「それがまだよく分からないです。」

「分からなくて当然です。」

魔女は優しく言った。

「今まで貴女は、花として生きることを教わってこなかったのですから。」

澪はその言葉に少し救われた。

できない自分が悪いのではない。知らなかっただけ。それなら、これから知ることができるのかもしれない。

「花人として生きるには、いくつかの順番があります。」

魔女はテーブルの上に小さなカードを五枚並べた。

一枚目には、花の絵
二枚目には、鏡
三枚目には、ドレス
四枚目には、蜜の壺
五枚目には、蝶の羽

魔女は一枚目のカードに触れた。

「まず花を知ること。」

「花を知る?」

「ええ。花という存在がどのように生きているのかを知るのです。花はただ綺麗に咲いているだけではありません。非常に賢く、したたかで、魅惑的です。」

「したたか……」

澪は少し驚いた。

花に対してそんな言葉を使うとは思わなかった。

魔女は微笑む。

「花は純粋ですが、無力ではないのです。美しいだけではなく戦略を持っています。どの季節に咲くのか。どの色で誘うのか。どの香りを放つのか。どの相手に蜜を渡すのか。」

澪は百合を見た。静かで清らかな花だと思っていた。

しかし魔女の言葉を聞くと、その静けさの奥に強さがあるように見えた。

「次に自分の花を知ること。」

魔女は二枚目の鏡のカードに触れた。

「すべての女性が同じ花として咲くわけではありません。薔薇として咲く方もいれば、百合として咲く方もいます。椿、蘭、ダリア、鈴蘭、牡丹、スイートピー……それぞれ美しさも、香りも、引き寄せるものも違います。」

澪は聞いた。

「自分の花は自分で選ぶんですか?」

「選ぶというより、思い出すものです。」

「思い出す……」

「貴女が昔からなぜか惹かれてきたもの。怖いのに目を離せなかったもの。似合わないと思いながら本当は憧れていたもの。傷ついた時に無意識に求めていたもの。」

魔女は澪を見た。

「そういうものの中に、貴女の花の手がかりがあります。」

澪は少し考えた。

子どもの頃白いワンピースに憧れていたが、汚すからと言われてあまり着せてもらえなかった。

大人になってからも白い服は避けている。

太って見える。汚れが目立つ。自分には清楚すぎる。そう思っていつも黒や紺やグレーを選んできた。

けれど白い服を着ている女性を見ると、いつも少し胸が痛んだ。

羨ましかったのかもしれない。

澪はそのことをまだ魔女には言えなかった。

魔女は三枚目のドレスのカードに触れた。

「次に外側を整えること。」

澪は少し緊張した。

「ヘアメイクや服装のことですか?」

「はい。髪、肌、服、香り、姿勢、声、歩き方。花としての外側を整えていきます。」

「外側から変えても、中身が伴わなければ意味がない気がします。」

魔女は静かに首を振った。

「外側と内側は別々ではありません。」

澪は黙った。

「くたびれた服を着れば、心もくたびれた扱いを受け入れやすくなります。自分に似合わない色ばかり纏えば、自分の輪郭がぼやけていきます。反対に自分の花に合う装いを選ぶと、心がその姿に追いつこうとするのです。」

澪は今日の自分の服を見た。

黒いパンツ。無難なベージュのニット。何年も使っている鞄。

変ではない。しかし、そこに澪自身の意思はほとんどなかった。

浮かないこと。変に思われないこと。扱いやすそうに見えること。

その基準で選ばれた服だった。

魔女は四枚目の蜜の壺のカードに触れた。

「そして内側に蜜を満たすこと。」

「蜜……」

「花にとって蜜は与えるものです。しかし、空っぽの花は蜜を渡せません。」

魔女の声が少し柔らかくなった。

「多くの女性は、自分が空っぽのまま誰かを満たそうとします。愛されたいのに先に尽くす。大切にされたいのに先に我慢する。選ばれたいのに自分を安売りする。」

澪は胸が痛んだ。思い当たることが多すぎた。

佐伯さんに何かをしたわけではない。しかし、心の中ではずっと彼に合わせていた。

彼が好きそうな人を想像し、彼に嫌われない自分を想像し、彼の結婚報告で初めて、自分がどれだけ相手の人生に合わせて妄想していたかを知った。

魔女は言った。

「蜜とは愛であり、美意識であり、知性であり、余裕であり、貴女が貴女自身を満たすものです。」

「自分を満たす……」

「ええ。自分を満たした女性だけが、本当の意味で誰かに与えることができます。」

澪は尋ねた。

「満たされていない女はどうなるんですか?」

魔女は少し沈黙した。

「奪おうとします。」

その言葉は静かだった。しかし重かった。

「愛を。関心を。承認を。安心を。誰かから奪おうとする。すると本人は優しくしているつもりでも、香りが重くなるのです。」

澪は自分の胸に手を当てた。

自分は重かったのだろうか。

誰にも何も求めていないような顔をして、本当は心の奥で求め続けていたのだろうか。

選んでほしい。気づいてほしい。特別にしてほしい。私を見てほしい。

口に出さなかっただけで、その願いはずっと自分の中にあった。

「求めることは悪いことですか?」

澪は小さく聞いた。

魔女はすぐに答えた。

「いいえ。欲しいものを欲しいと思うことは命の力です。」

澪は顔を上げる。

「しかし自分の欲望を自分で認めないまま、誰かに叶えてもらおうとすると苦しくなります。」

魔女は続けた。

「花人は欲望を恥じません。愛されたい。美しくなりたい。豊かになりたい。大切にされたい。選ばれたい。そう願う心を、まず自分で抱きしめるのです。」

澪は少し泣きそうになった。

欲しいと思ってよかったのか。愛されたいと思ってよかったのか。

もう遅いと諦める前に、ちゃんと欲しかったと認めてもよかったのか。

魔女は最後のカード、蝶の羽に触れた。

「最後に送粉者を誘引すること。」

「それは恋愛のことですか?」

「恋愛も含まれます。」

魔女は言った。

「しかし花人にとって恋愛は、人生のすべてではありません。花人が引き寄せるのは恋人だけではないのです。仕事、豊かさ、言葉、仲間、場所、機会、そして新しい自分。」

澪は静かに聞いていた。

「花人は誰かに選ばれるためだけに咲くのではありません。」

魔女の声が澪の胸に深く届く。

「咲いた結果として、必要なものが寄ってくるのです。」

澪はゆっくりと息を吐いた。

今まで自分は順番を間違えていたのかもしれない。

誰かに選ばれたら自信が持てる。誰かに愛されたら美しくなれる。

誰かに必要とされたら人生が始まる。そう思っていた。

しかし花人は違う。

まず咲く。

自分の色を持つ。
形を整える。
香りを放つ。
蜜を満たす。

その後に必要なものがやってくる。

「少し怖いです。」

澪は正直に言った。

「何が怖いのですか?」

「自分として咲くことが。」

魔女は黙って澪を見ていた。

「今までは無難でいればよかったんです。誰かに見られることもないし、期待されることもないし、失望されることもない。でも自分の花として咲くって……隠れられない感じがします。」

魔女は優しく微笑んだ。

「その通りです。」

澪は驚いた。

慰められると思っていた。しかし魔女は続けた。

「咲くということは、見つかるということです。香るということは、誰かの記憶に残るということです。美しくなるということは、世界からの視線を受け取るということです。」

澪の指が膝の上でぎゅっと握られた。

「怖いです。」

「ええ。怖いものです。」

魔女は言った。

「しかし、隠れたまま一生を終えることの方がもっと怖いのではありませんか?」

その言葉に澪は返事ができなかった。

隠れたまま一生を終える。

昨日までの澪はそれに近い場所にいたのかもしれない。

安全だった。平穏だった。しかし魂が少しずつ乾いていた。

花瓶に水を足されない花のように、誰にも気づかれないまま静かに萎れていく。

そんな生き方を自分は本当に望んでいるのだろうか。

澪は首を横に振った。

「嫌です。」

その声はとても小さかった。しかしはっきりしていた。

「このままは、嫌です…。」

魔女は満足そうに微笑んだ。

「それが最初の魔法です。」

「魔法?」

「はい。“嫌だ”と認めること。」

澪は目を瞬いた。

「そんなことが魔法なんですか?」

「もちろんです。」

魔女は言った。

「多くの女性は“嫌だ”を飲み込んで生きています。嫌だけれど仕方ない。寂しいけれど平気。苦しいけれど大丈夫。欲しいけれどいらない。そうやって自分の本音を少しずつ眠らせていく。」

澪は自分の胸の奥に耳を澄ました。

そこにはたくさんの小さな声があった。

嫌だった。

寂しかった。

羨ましかった。

愛されたかった。

綺麗になりたかった。

人生を諦めたくなかった。

「花人は自分の本音を殺しません。」

魔女は言った。

「本音は花の根です。根を切られた花は長く咲けません。」

澪は百合を見た。花弁ばかりを見ていた。

しかしその花にも根があったのだ。

土の中で、見えない場所で、水を吸い上げるもの。誰にも見られない場所で、命を支えているもの。

「澪さん」

魔女が呼んだ。

「はい」

「花人として生きるために今日、ひとつ覚えて帰ってください。」

澪は背筋を伸ばす。

魔女はゆっくりと言った。

「貴女は、誰かに選ばれるために咲くのではありません。」

澪は息を止めた。

「貴女が咲くから、世界が貴女を見つけるのです。」

その言葉は澪の中で静かに光った。

誰かに選ばれるために咲くのではない。

咲くから、見つかる。

今まで澪は、見つけてもらうことばかり考えていた。

見つけてもらえない自分を責めていた。

しかしもしかすると、見つからない場所に自分で隠れていただけなのかもしれない。

地味な服の中に。「大丈夫です」という言葉の中に。
忙しさの中に。年齢への諦めの中に。叶わない片思いの中に。

澪は花人手帖を取り出した。

「書いてもいいですか?」

「もちろんです。」

澪は新しいページを開いた。

そこに魔女の言葉を書いた。

私は、誰かに選ばれるために咲くのではない。
私が咲くから、世界が私を見つける。

書いた瞬間、指先が少し震えた。

この言葉を本当に信じられる日が来るのだろうか。

今はまだ分からない。でも信じたいと思った。

それだけで昨日の澪とは違っていた。

魔女は澪をまっすぐ見て言った。

「次にお会いする時は、貴女の花を見つけましょう。」

澪は顔を上げる。

「私の花…?」

「はい。」

魔女は百合に目を向けた。

「貴女がどの花として咲くのか。どんな色を持ち、どんな香りを放ち、どんな蜜を宿すのか。」

澪の胸が高鳴った。

怖い。でも知りたい。自分の花を。自分が本当はどんな風に咲く女なのかを。

「もし、私の花が分かったら…」

澪はゆっくり尋ねた。

「私は変われますか?」

魔女は静かに微笑んだ。

「澪さん」

「はい」

「貴女はもう、変わり始めています。」

その言葉に澪は何も言えなくなった。

帰り際、魔女は澪に一輪の百合を渡した。

「これを今夜の貴女に。」

「いただいていいんですか?」

「ええ。」

魔女は言った。

「花は見つめる者を変えます。貴女が百合を見る時、百合もまた貴女を見ています。」

澪は百合を抱える。

昨日、自分で買った百合とは少し違う。こちらの百合はまだ固いつぼみだった。

「まだ咲いていませんね。」

澪が言うと魔女は微笑んだ。

「咲いていないからこそ美しい時間もあります。」

澪はつぼみを見つめた。まだ開いていない。けれど中には確かに花がある。

見えないだけで存在している。それは今の自分のようだと思った。

秘密の花園を出ると夜風が澪の頬を撫でた。

街は相変わらず騒がしく、駅へ向かう人々は足早で、ビルの光は冷たい。

現実は何も甘くない。

佐伯さんは結婚する。
澪は明日も会社へ行く。
年齢が巻き戻ることもない。
過去の七年が返ってくることもない。

しかし澪の腕の中には百合がある。鞄の中には花人手帖がある。

そして胸の中には新しい言葉があった。

私は、誰かに選ばれるために咲くのではない。
私が咲くから、世界が私を見つける。

家に帰ると、澪は昨日の百合の隣に魔女からもらったつぼみを挿した。

一本は少し開いていてもう一本はまだ閉じている。

同じ百合なのに違う時間を生きている。

澪はそれを見つめながらふと思った。

遅れているのではない。違う時間を生きているだけ。

その夜、澪は久しぶりに丁寧にお茶を淹れた。

お気に入りだったはずなのに、しばらく使っていなかった白いカップを取り出す。

部屋着もいつものくたびれたものではなく、肌触りの良いワンピースに着替えた。

誰に見せるわけでもない。しかし自分が見る。自分が触れる。

自分が、自分をどう扱うかを知っている。

澪は花人手帖を開き、今日の最後にこう書いた。

私は、私を雑に扱うことをやめる。

書き終えると少し照れくさくなったが、消さなかった。

その代わりページの端に小さく百合の絵を描いた。決して上手ではないけどそれでよかった。

上手に咲く必要はない。まず咲くこと。

澪は部屋の灯りを少し落とす。窓の外には夜の街が広がっている。

誰かの生活の明かり。誰かの帰り道。誰かの物語。

その中に自分の物語もあるのかもしれない。

そう思えたのはいつ以来だろう。

ベッドに入る前、澪はもう一度百合を見た。

閉じたつぼみは静かにそこにあった。

咲く日を急いでいない。誰かに急かされてもいない。ただ、自分の時を待っている。

澪は小さく呟いた。

「私も、待っていていいのかな。」

答える者はいなかった。

しかし、部屋の中にかすかな花の香りが満ちていた。

それは魔女の声に少し似ていた。

お咲きなさい。
今度こそ、貴女の花として。

澪は目を閉じた。

明日になればまたいつもの朝が来る。

しかしもう完全に同じ朝ではない。

白石澪、三十九歳。

長いあいだ自分を咲かせずに生きてきた女。

その夜、彼女は初めて知った。

花人とは花に憧れる女性ではなく、花そのものとしてこの世に咲く女性なのだと。

そして自分の中にもまだ、名前を知らない花が眠っているのだと。


あとがき

誰かに選ばれてから。
自信がついてから。
もっと綺麗になってから。
もっと若かったら。
もっと条件が揃っていたら。

そう思っているうちに、自分の人生を始めるタイミングを見失ってしまう。

けれど花は誰かの許可を待って咲くのではありません。

花は自分の季節が来た時に咲きます。

色を持ち、形を整え、香りを放ち、蜜を宿す。そして必要なものを、自然と引き寄せていく。

花人とは花のような女性のことではありません。

花そのものとしてこの世に咲く女性のこと。

貴女は誰かに選ばれるために咲くのではありません。

貴女が咲くから、世界が貴女を見つけるのです。

次回、第3話。

「百合の女」

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